2013年06月20日

泉涌寺(後)

天皇は男系が継ぎますが、かつては必ずしも直系優先でも、長子優先でもありませんでした。
自分のおじいさんが天皇をやって、お父さんはやらずに、さんざん他所を回って何代か後に自分に回ってくることも普通にあります(光仁もそうです)。

よって泉涌寺を菩提寺に定めた鎌倉時代の後堀河天皇にとっても、また、現在の天皇にとっても、自分の直系ではない天皇は数多く存在します。
泉涌寺の位牌の妙は、光仁以降はどの時点の天皇にとっても直系・傍系関係なく祭っているのに、それ以前は傍系の天武系列をスキップし、いきなり直系の天智を祭っていることにあります。

天武の政権が反乱による奪取であったこと、日本の古代史(古事記・日本書紀)が天武の意向により作られたことを理由に、天武は皇室ではなかったのではないか(すなわち王朝が変わったのではないか)という推理がされることもあります。
その裏付には泉涌寺の位牌はぴったりです。

私は単純に、都を京都(平安京)に移した桓武天皇を基準に判断されたのではないかと思っています。
桓武の後の全ての天皇の位牌はあります。桓武の父が光仁、祖父は天皇になれず、曽祖父が天智です。
「桓武以降」プラス「(直系の)天智・光仁」という解釈です。
桓武にとって天智(中大兄皇子)は直近かつ直系の大天皇ですから、ルーツを示す意味で天智・光仁を加えたのでしょう。

泉涌寺が菩提寺に定まったのも、位牌というものが日本に入ってきたのも鎌倉時代ですから、桓武がルールを決めたわけではありません。位牌自体もいつの作か分からないし。
しかし、後世、桓武を基準にしましょうということで、このような位牌の持ち方になったと解釈しています。

以下、大門と仏殿です(以前一度入っているので、今回は入場料500円をスキップしました)。
CIMG2172.JPG

CIMG2173.JPG



posted by 独楽 at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 観光 | 更新情報をチェックする
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